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軟派なライフログ

仲正昌樹『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス、2006年)

保守というのは字義どおりには現状を維持していこうとする方向の思想であるから、「現実」として通用しているものが革命などによって根底から動揺しているという危機感がない限り、「保守思想」が体系的な理論として結晶化することはあまりない。「保守」とは実際には「革新」に対する反作用として登場するものなので、実際には「保守」のほうが「革新」よりも新しいのである。

 

「疎外 Entfremdung」とは、若きマルクスがパリ滞在中に執筆した『経済学・哲学草稿』(1844)の第一草稿に属する「疎外された労働」に出てくる概念。マルクスにとって人間の類的本質は「労働」であるが、アダム・スミス以来の国民経済学が前提にしている資本主義的生産体制においては、労働者が自らの類的本質を投入して生み出したはずの「労働生産物=商品」が、労働者に対して「疎遠 fremd」なもの(=他人のもの)として現れてくる。具体的には、労働の結果が資本家という他者によって搾取されるということだ。

 

マルクス主義の丸抱え体質に反発するか、もしくは限界を感じていた構造主義以降に出てきたフランスの思想家・社会理論家たちは、すべてを説明できる絶対的な統一理論のようなものは目指さない、むしろそういうものを構築しようとする欲望に抵抗することを「共通項」にしていたようなところがある。『ポスト・モダンの条件』(1979)で、「ポストモダン」という言葉を流行らせた哲学者のリオタールは、そうしたマルクス主義のような絶対知が不在になった状況=「大きな物語の終焉」こそ、ポストモダン的な知の条件だとしている。